ライフミッション ストーリー

■必要とされたい、愛されたい、という強い欲求

私の母はどちらかというと教育熱心な方でした。そのため、小学校のころの私は成績のよい生徒でした。一方で、小さいころからマイペースで周囲があまり見えておらず、流行にも疎かった私は、友達との関係を構築するのがあまり得意ではありませんでした。「誰かとペアを組む」というような場面ではあぶれてしまったり、持病のアトピーで何かと言われることも少なくない中、どこかで「自分は人気がない」という引け目を持っていました。勉強ができるという点では多少目立っていたかもしれないけれど、本当は いつも人の輪の中心にいる友人のことを、密かにうらやましく思っていたのを思い出します。

そんな私は、中学に入学した際に「新しい自分」になることを試みました。

受験で入った中学に小学校の同級生がいないことを良いことに、人気者だった友人の真似をして、朝 教室に入るなり 大きな声であいさつしたり、休み時間に校庭で遊ぼう!とこれまた大きな声で積極的に呼びかけたりしました。

しかし、「はじめまして」のクラスメートがお互いにまだ様子を見ている中学1年生の4月にあって、私の子供っぽい振る舞いは見事にスベって、しょっぱなから浮いた存在になってしまいました。こうして私は、自分が「不人気」である自覚を更に深めることになりました。そして次第に、人から必要とされたい、承認されたい、愛されたい という強い枯渇感を抱くようになりました。

■無意識に繰り返していた「負のループ」

私はもともと、小さいころから 好奇心旺盛で あれこれやってみたい性質でした。その一方で、様々なことが中途半端になりがちでした。将来のために・・という戦略的な生き方とは無縁で、刹那的、場当たり的に その時々の直感に従って生きてきたような所もありました。大人になってからは、そんな自分を揶揄して、「私の人生、行き当たりばったりなんだよ~」などと茶化すこともありました。

この好奇心に承認欲求が加わって、私の思考と行動のパターンが作られました。人気があって周りに愛されている人 をうらやましく思う気持ちから、真似して何かにチャレンジしてみては「あの人のようになれない」と挫折する。そして、そんな自分を「自己否定」する。

・・こんなパターンを、無意識のうちに繰り返すようになりました。

憧れや興味の移り変わりとともに、中途半端に手掛けたものが増えていきました。それにつれ今度は、「情熱が長続きしない」ことや、「自分の軸が定まっていない」ことがコンプレックスとなりました。一芸に秀でていている誰かを見るにつけ、ますます強い憧れを感じてしまいます。

その憧れに反比例して自信が持てなくなり、「自分の価値を感じたい、自分がココにいて良いのだという ”許可証” を得たい」という強い承認欲求につながっていく「負のループ」にさいなまれました。

人から必要とされたいという思いや、自分自身に何か価値を見出したいという思いから物事を選択していたということに、自分では気づいていませんでした。

そして、「負のループ」は、社会人になって、結婚してもなお、まだ続いていたのです。

完全に文系の頭だったにもかかわらず、理系へのあこがれから IT企業に就職するという無茶をしました。 結婚後には ロバート・キヨサキに強い影響を受けて、副業として小規模な不動産投資を始め、会社も作りました。また、それをきっかけに、さまざまな投資に取り組むようになりました。

■進路転換、そして起業へ

仕事のワラジを何足も履いている状態は、とても充実しており、自分に「自信」を与えてくれるような気がしました。しかし、息子を出産してからは、メインの仕事に加えて 家事、育児、そして投資の勉強や不動産のために作った会社運営の作業を抱えて、私の時間はカツカツになってしまいました。

夫は家事 や 育児 をずいぶんこなしてくれましたが、それでも間に合わず、私は プライベートの時間で 子供の相手より投資や法人経営の事務作業を優先させてしまう頻度が高くなっていきました。

そんな中、夫が私を心配して言ったひとことが心に響き、進路を変更する決断をしました。「家族との時間は、後から取り戻せないよ」という彼の言葉に、ハッとしたのです。そして私は、息子が2才を迎えた月に会社員を卒業し、同時に ビジネスを学び始めました。

しかし、長年勤めていたにも関わらずITのスキルも中途半端、趣味でお金を得られそうなレベルのものもなければ、20代の頃に学んだコーチングも「本格的にプロになる」という自信は持てずにいました。何を仕事にしたらよいのか 随分迷い悩みましたが、起業塾の仲間から「投資のことを知りたい」という声をもらったことをきっかけに、投資の”マインド”に焦点を当てた講座をすることに決めました。

■罪悪感を経て、ビジネススタート

ところが、その頃から、投資していた案件の雲行きがことごとく怪しくなり始めました。

中には詐欺であったと発覚したものもありました。

そして、投資案件の調子がまだ良かった時期に、友人から「投資を教えて」と言われて、意気揚々と投資先を紹介してしまった私は、友人にまで被害を及ぼしてしまったのです。

自分自身もかなりの金額を失ってしまったのですが、それ以上に辛かったのが、友人達に対する罪悪感でした。

準備を進めてきた「投資マインド」の講座も、私なんぞが投資を語ってよいのか!?という自分自信の声が常に聞こえて、やめてしまいたい気持ちでいっぱいになりました。

しかし、そんな状況でありながら、友人たちは本当に本当に懐の深い人ばかりで、誰一人として 私の事を責めるようなことがありませんでした。むしろその逆で、「おかゆちゃんのビジネスを応援しているよ」とさえ言ってくれるのでした。

そのため、起業をやめるとも言いづらく、「ビジネスの成功と自分自身の成長をもって恩返ししよう」と思い直しました。そして結局「投資マインド」のままでビジネスをスタートすることにしたのです。

失敗を経験してなお、お金を運用して増やして行く視点はやはり大切だと感じましたし、自分が失敗を通して学んだことをお伝えすることも、使命であるように思えました。

■声診断、LMC との出会い

ところが、やっとのことでビジネスをスタートした直後から違和感を感じ始め、それが徐々に拡大してゆきました。そして、とうとう アクションリストはあるのに、なぜか動けない、手を付けることができない、という状況に陥ってしまいました。

焦りばかりが募り、まったく仕事が進まない事態に「なぜだろう?」と苦しんで、色んな方のセッションを受けてみたり、セミナーに参加してみたりしました。

そんな中で出会ったのが 声診断、そして LMC でした。

 ココロを可視化できる魅力にひかれて学び始めた「声診断」は、「投資マインドのことが中途半端なのに・・」という思いとの葛藤がありましたが、結果的に自分の強みに気づかせてくれるきっかけとなりました。

お客様から、「話しやすい」、「こんなことを初めて人に話した」、「元気が出た」、と喜んでいただき、私は人の話を聞くことに強みがあるんだということや、他人の良いところや優れたところを見つけることが得意なのだと、改めて自覚することができました。過去に学んでいたコーチングが、意外な展開で役に立ったことも自信を与えてくれました。

LMCのトゥインクル養成講座でも、講師の たしろさと美さんに、私が「行きあたりばったり」と悩んでいた部分が、実は「強み」であると教えて頂きました。それは、「今この時」の瞬間に集中できる「適応性」という能力でした。

さと美さんから紹介していただいた、とあるブログの記事に「適応性を持つ人は『行き当たりバッチリ』と考えればOK!」と書かれているのを目にしたとき、「ああ、私はこれでいいんだ・・!」と、自分の人生が承認されたような、とても晴れやかな気持ちになりました。

■「パッチワーク」な自分でいい

また、さと美さんからは、ビジョンからの逆算によって、最短距離で目標に向かう「達成型」スタイルだけが成功のパターンとは限らず、自分の価値観にそって毎日を過ごしていき、その積み上げによって望んでいる所へ到達する「展開型」という成功パターンもあるのだ、ということも教えて頂きました。

つまり、今まで私が「中途半端で挫折した」と思っていた様々なことは、決してそこで終わっていたわけではないのです。それは、未来にどこかへつながる過程にすぎないのだ、と分かったことで、どの経験も 自分を構成する大切なパーツなのだと思えるようになってきました。

何かひとつに精通している「スペシャリスト」であらねばならないと思い込んでいたけれど、色々な柄の生地で構成されているパッチワーク作品のような、「ジェネラリスト」の私だって、いいんじゃない?

そういう視点に切り替えられてから、「自分」というオンリーワンの作品を楽しめる感覚になってきました。そうしていくうちに、夫や子供にとても愛してもらっているのに、その幸せに鈍感になっていた自分にも気づいたのです。

誰か他の人を目指さなくても、今の自分のままで、愛してくれている人がいる。このことに意識を向けるようにしてから、毎日の幸福感を強く感じられるようになりました。

■私のビジョンと使命

いま私は、私と同じく好奇心に応じて色々な事をやってきて 自分迷子な人、自分軸に悩んでいる人が、「いきあたりばったり は 『いきあたりバッチリ!』」 と、自分を認めて幸せになれるような世の中にしていきたいなと考えています。

そして、それに向けて

「人の良いところ、優れているところを見つける強みを活かして

精神的・経済的に豊かな人を増やし、私自身も愛と豊かさを享受する。」

ということが、私のライフミッション(使命)となっています。